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 相手が動く、その動きに対して、こちらの移動が作るわずかな〈拍子のずれ〉が、崩しを生むのです。相手に遅れる分だけ、こちらの切りは、相手の切りの上に乗っていくような形になる。

 …略… 上に乗る、と言っても、決して伸びあがって上から抑えつけるのではない。體の移動は、あくまで水平です。ただ、双方の間に生み出される〈拍子のずれ〉だけで、「上太刀」と「下太刀」の関係が生まれる。いや、この言い方は、正確ではないかもしれません。そもそも「拍子」とは、切り合う二人の間にあるもので、何らかの〈ずれ〉がないところには、どんな「拍子」も生まれません。

 …略… 「猿廻」にある移動軸の崩しは、伊勢守にとっては、ひとつの運動世界の突然の開示だったかもしれません。「猿廻」の勝ち口には、限りない自由と有無を言わせない必然とが、完全に、同時にあります。

 …略… つまり、双方の四つの足が、一線上にある。この踏み込みとによる軸の移動が、ふわりと相手側の軸の移動に乗るわけです。この時に、連動して一挙に為される軸の移動、間合いの読み、拍子の置き方、太刀の切り筋には、原理として言うなら、毛一筋ほどの狂いがあってもいけません。これらの一致によってだけ、勝敗は天地の理のように、必然のものになるのです。

 …略… この必然は、流動してやまない彼我の関係のなかに、自在の柔らかさをもって創られ続けていく。ただ自分の考えだけで、強引に創るのではない。敵と自分との〈間〉にある関係、すなわち間合い、拍子、太刀筋の関係から、おのずと作り出されてくるものなのです。

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付:上泉伊勢守(かみいずみ いせのかみ:秀長、信綱、伊勢守、武蔵守)…上泉城主であるとともに、兵法家として陰流、神道流、念流などの諸流派を学び、その奥源を究め、特に陰流から「奇妙を抽出して[5]」新陰流を大成した。
[5]…陰流「影目録(新影流目録)」(『正伝新陰流』所収。『定本柳生一族』70頁に引用)

付:陰流(かげりゅう)…愛洲久忠(あいす ひさただ:移香斎 いこうさい)剣聖・上泉信綱は弟子と伝えるが、久忠の子・小七郎(元香斎小七郎(猿飛陰流))の弟子とみなす説もある。
小七郎宗通は永禄7年(1564年)に常陸の佐竹義重に仕え、天正3年(1575年)に猿飛陰流と流派を改名したともいわれる。ただし、平澤家の文書では陰流となっているようである。[5]『武芸流派大事典』