月別アーカイブ: 2014年4月

神聖なる負債

はっきり いいます
あなたはリングでウルフ金串のアゴを割り 再起不能にし そしてまた力石徹をも追いやった罪ぶかき プロボクサーなのよ

あなたは ふたりから 借りが ……神聖なる負債があるはず!

いまこの場で はっきり自覚なさい ウルフ金串のためにも 力石くんのためにも 自分は リングの上で 死ぬべき人間なのだと!

あなたは いまリングを すてるつもりらしいけど ……そうは させないわ!

おそらく 力石くんも ウルフさんもゆるしは しないでしょう わたしもだんじてゆるしません!

(白木葉子)

ヘンカクセツナ鳥

へん かく[0]【偏角】
基準の方向からふれた角。

(1)複素平面上で複素数を表す点と原点を結ぶ直線が実軸となす角。

(2)プリズムで,入射光線と透過光線のなす角。振れの角。

(3)航空機で,機体の向きと進行方向のなす角。偏流角。

(4)地磁気の水平磁力の方向と子午線のなす角。すなわち,磁針の指す北の方向と地理学上の北の方向のなす角。

→ 偏角計巣

スーパー大辞林3.0 (C) Sanseido Co.,Ltd. 2010

思えば出る

米倉斉加年
僕自身は、芝居を創るとき、同情されるとか、同情するということを極力排除するようにしております。

(中略)

住井すゑ
いまになって思うと、あの日本の天皇制の学校にいかなかったかということが私の救いだったと、つくづく感じますね。(中略)学校に行かなかったことで災難から免れたと思っていますね。

(中略)

米倉
馬と一緒ですね。

住井
そう。競走馬を訓練して、優勝させて馬主が儲けようというのと同じです。(中略)人間の場合も、いまでいえば資本主義、かつては天皇制官僚国家が、その国家のために役立つ人間、自分たちの利益になる人間をつくろうと思って、教育するんですから、これは教育ではなく、本当は調教なんですね。

(中略)

住井
そのラストで、むっちゃんの亡骸を荷車へ積んで、米倉さんが引き出すところ(中略)そこでもう画面を見ていられなくて(中略)なんて名演技、というより演技とは思えないんですよ。その荷車の舵を取ったとたんに、涙があふれたというのは、舵棒をつかむ角度がね、もうそれ以上の角度はないんですね。(中略)車に乗っているのは、まさに戦争の悲劇の果てに、あえなく死んでいった少女の死骸であるということが、左手の舵棒の角度で表現できているんですね。

(中略)

米倉
いや、それはその時に私の弟のこととか、身近にいる愛すべき友人の朝鮮人、韓国人の心がうまく動いたんでしょうけれども、それが動かないと芝居にならないということです。

(中略)

本当に、「思えば出る」。

住井
「思えば出る」と「思えばできる」との違いですね。私たちは、思ってもできない。思えばできるならまだましだけれど、普通は思ってもできない。

(中略)

米倉
その場にひたって、その場の空気を感じられて、己を解放していかなければならないから、閉鎖したり、一方的であったり、相手の心がわからない人はだめです。それと、「まっすぐ歩く」ということが大切だと思います。(中略)なかなかそれができませんね。普通にやるとやましいことがあるから、さしつかえが出てくるものだから、すぐ「すいません」なんていったりして。

『演ずることは』米倉斉加年(抱樸舎文庫/旬報社 1997-11-30)

– 住井すゑ(1902年1月7日 – 1997年6月16日)
– 米倉斉加年(1934年7月10日 – 2014年8月26日

猫石の形と大きさ不明

さて、
どうやら 4/11 22時22分 が転機であった。

16ヶ月に及んでいるコリツパースペクティヴは、ようやく内部から溶け始める時の針が刻を打ち、その傷口から溢れ出ることを躊躇しながら表面聴力に震える中身は、今日以前以後を押し並べて鳴り出す前に飛び散って行ったのであろう。

かさぶたはすべて言葉の手触り。それが取れる頃、傷跡は最新型の細胞が透ける地層。無数の言葉は、セル セル セル ・・・どこを突ついても、飛ぶのは空

(パチン)犯罪と自由について
(パチン)猫石のあるところに行かねばならない
(パチン)トイレの掃除をして、水とごはんの準備

例えば…

ハダカ・ダンスの歴史

 「女がハダカになって大勢の前で踊る」
 こんな事が、敗戰國の日本では、よいか悪いかと問題になつている。これは問題にする方が間違つている。これは集團强盗、ヤミ商賣、官吏の収賄、ナイトクラブと一緒に、敗戰國には当然の現象だからである。敗戰國の流行の中心は、ダンスの流行が、まづ第一である。前大戰直後に、敗戰國の独逸では、バア、カフエ、料理店の閉鎖にも拘らず、終戰最初の日曜日にには、全國で五ヶ所のダンスホールを開かした位に、國民を挙げて何事をも忘れる爲に、ダンスに熱狂した。その後は独逸に革命が起ろうが、ストライキが続こうが、舞踊の流行だけは抑えられなかつた。尤も戰争後のダンスの流行は、別に敗戰國に限つた事でわない。戰勝國でも同様で、第一次世界大戰の後で、チヤアレストンの世界的流行は、誰も知る通りであろう。

 それから女が裸になる、という事実も同じである。女が男を失い、男の手を離れる事の多い戰争後に於て、生活的にも職業的にも女が自分の肉体に頼る精神は、極めて强くなつてくる。(中略)デスモンドは劍の舞で、初めは冠と金属の帯を締め、空色のマントを着けて劍を執つて踊つたが、ある瞬間にそのマントが落ちて、全裸になって劍を振つた。その純粋の美しさには、劇場で防害をして騒ごうと計画していた連中が悉く打たれて、一言も口に出なかつた位に、藝術的であったと、その当時の批評に出ている。
─「ハダカ・ダンスの歴史」より

『寳塚と日劇 ─ 私のレビユウ十年』秦豊吉(いとう書房 東京・名古屋・金沢/1948-12-20発行)

 -秦豊吉(1892年1月14日 – 1956年7月5日)
 -オルガ・デスモンド(女優)