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 3月初旬の一時帰国時、筆者 [1]の恩人である田口佳史先生、本校同窓会の中心人物の一人である牧野容子女史、亜州広告社の守恭助氏のご紹介で HBS のご経験をお持ちの三菱商事の亀崎英敏副社長、対外発信の重要性を力説されるジェトロの塚本弘副理事長、現在国政のあり方を再考中の岸本周平氏等、素晴らしい方々から示唆に富んだお話を伺い、新たなエネルギーを頂いた。それにしても時の経過はまことに早い。小誌昨年 3月号でも触れた筆者の恩人、坂本俊造氏が亡くなられて既に1年が過ぎ、奥様にご挨拶をするため、3月4日、東京市ヶ谷のお宅に伺った。小誌 2004年4月号で触れたが、坂本氏の御祖父は海軍大学校 ( 海大 ) 校長時、のちに日本海海戦時の名参謀となる秋山真之少佐を異例の若さにも かかわらず戦術教官に抜擢した帝国海軍創成期のお一人である。
 奥様は、御祖父のものも含めて坂本家の資料整理にお忙しい日々を過ごされていた。そして、坂本俊篤中将が、1896年、ニコライ2世露皇帝の戴冠式で伏見宮貞 愛親王の随行役をしたこと、1899年、第1回 ハーグ国際平和会議に参加したこと、更には 1905年、バルチック艦隊のロジェストヴェンスキー提督が入院中の佐世保海軍病院から本国に送る電文をフランス語で処理したこと… 様々なお話を伺うことができた。
 ハーグ会議といえば米国全権の一人が大戦略家、アルフレッド・マハン大佐で、坂本大佐 ( 当時 ) はマハン大佐と同じく会議後にニューヨークに渡り、当時「噂の」米国駐在武官、秋山大尉と初めて対面し、海大教官として同大尉の抜擢を決心する。正しく優れた「ヒト」は優れた「ヒト」を見抜く力が具わっていると感心し、明治の帝国海軍における山本権兵衛海軍大臣や坂本海大校長の人事の見事さに驚いている。また本学図書館所蔵の太田阿山著『男爵坂本 俊篤伝』( 昭和17年11月発行 ) を筆者の傍らに置き、戦時中に出版された敵国の本さえも所蔵している本学の凄さにも驚いている。
 相当粗忽者の筆者であったが、坂本俊造氏は大変可愛がって下さった。そして「吉兆」や「いまむら」等の味の素晴らしさを教えて下さった。出張先のケルンで坂本氏と食事をした時、 空になったワイン・ボトルを指差しながら「とても美味しかったですね」と筆者が申し上げたところ、近くにいたソムリエが勘違いして「もう1本ですね」と言って、新しいボトルを取りに行こうとした。今から考えれば単純に「いいえ ( Nein ) 」と言えば良かったものを、「美味しかったと二人で話していただけなんですよ」とドイツ語でどう表現すれば良いかと考えているうちに新しいボトルが開けられようとしている。坂本氏に向かい、「しょうがないから、もう1本飲みましょう ! 」と言った筆者の粗忽さに今更ながら恥じ入っている。それから丁度 20年経ったが、筆者のドイツ語は未だに不完全そのものである。時の過ぎ行く速さと筆者の頭の回転の遅さを改めて痛感している。
 さて、小誌は次号で丸3年を迎える。現在の形で発行する小誌の目的は達成されたと判断し、次号をもって最終号とする。

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[1] 筆者:栗原潤 殿(ハーバード大学 ケネディ・スクール シニア・フェロー)『ケンブリッジ・ガゼット』No. 35 2006年4月号より