米倉斉加年
僕自身は、芝居を創るとき、同情されるとか、同情するということを極力排除するようにしております。(中略)
住井すゑ
いまになって思うと、あの日本の天皇制の学校にいかなかったかということが私の救いだったと、つくづく感じますね。(中略)学校に行かなかったことで災難から免れたと思っていますね。(中略)
米倉
馬と一緒ですね。住井
そう。競走馬を訓練して、優勝させて馬主が儲けようというのと同じです。(中略)人間の場合も、いまでいえば資本主義、かつては天皇制官僚国家が、その国家のために役立つ人間、自分たちの利益になる人間をつくろうと思って、教育するんですから、これは教育ではなく、本当は調教なんですね。(中略)
住井
そのラストで、むっちゃんの亡骸を荷車へ積んで、米倉さんが引き出すところ(中略)そこでもう画面を見ていられなくて(中略)なんて名演技、というより演技とは思えないんですよ。その荷車の舵を取ったとたんに、涙があふれたというのは、舵棒をつかむ角度がね、もうそれ以上の角度はないんですね。(中略)車に乗っているのは、まさに戦争の悲劇の果てに、あえなく死んでいった少女の死骸であるということが、左手の舵棒の角度で表現できているんですね。(中略)
米倉
いや、それはその時に私の弟のこととか、身近にいる愛すべき友人の朝鮮人、韓国人の心がうまく動いたんでしょうけれども、それが動かないと芝居にならないということです。(中略)
本当に、「思えば出る」。
住井
「思えば出る」と「思えばできる」との違いですね。私たちは、思ってもできない。思えばできるならまだましだけれど、普通は思ってもできない。(中略)
米倉
その場にひたって、その場の空気を感じられて、己を解放していかなければならないから、閉鎖したり、一方的であったり、相手の心がわからない人はだめです。それと、「まっすぐ歩く」ということが大切だと思います。(中略)なかなかそれができませんね。普通にやるとやましいことがあるから、さしつかえが出てくるものだから、すぐ「すいません」なんていったりして。
『演ずることは』米倉斉加年(抱樸舎文庫/旬報社 1997-11-30)
– 住井すゑ(1902年1月7日 – 1997年6月16日)
– 米倉斉加年(1934年7月10日 – 2014年8月26日)