ハダカ・ダンスの歴史

 「女がハダカになって大勢の前で踊る」
 こんな事が、敗戰國の日本では、よいか悪いかと問題になつている。これは問題にする方が間違つている。これは集團强盗、ヤミ商賣、官吏の収賄、ナイトクラブと一緒に、敗戰國には当然の現象だからである。敗戰國の流行の中心は、ダンスの流行が、まづ第一である。前大戰直後に、敗戰國の独逸では、バア、カフエ、料理店の閉鎖にも拘らず、終戰最初の日曜日にには、全國で五ヶ所のダンスホールを開かした位に、國民を挙げて何事をも忘れる爲に、ダンスに熱狂した。その後は独逸に革命が起ろうが、ストライキが続こうが、舞踊の流行だけは抑えられなかつた。尤も戰争後のダンスの流行は、別に敗戰國に限つた事でわない。戰勝國でも同様で、第一次世界大戰の後で、チヤアレストンの世界的流行は、誰も知る通りであろう。

 それから女が裸になる、という事実も同じである。女が男を失い、男の手を離れる事の多い戰争後に於て、生活的にも職業的にも女が自分の肉体に頼る精神は、極めて强くなつてくる。(中略)デスモンドは劍の舞で、初めは冠と金属の帯を締め、空色のマントを着けて劍を執つて踊つたが、ある瞬間にそのマントが落ちて、全裸になって劍を振つた。その純粋の美しさには、劇場で防害をして騒ごうと計画していた連中が悉く打たれて、一言も口に出なかつた位に、藝術的であったと、その当時の批評に出ている。
─「ハダカ・ダンスの歴史」より

『寳塚と日劇 ─ 私のレビユウ十年』秦豊吉(いとう書房 東京・名古屋・金沢/1948-12-20発行)

 -秦豊吉(1892年1月14日 – 1956年7月5日)
 -オルガ・デスモンド(女優)

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